かてごり
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2019年01月04日

経済活動とそれ以外の有益な活動のバランス

経済活動とそれ以外の有益な活動のバランス

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要領の悪い私の場合、常にこのバランス維持が問題となってくるのだが、ここホーチミンにいると
比較的これを良い状態で保ち続けることができる。

日本ではないということと、それ以外にも、最近の私の労働についての考え方の変化が
影響もしている。

労働ではなく、これは、時間を飯に変える何かであって、
事業と呼にはもう少し小じんまりとした何かだ。

経済活動とは、金銭を対価として受け取る代わりにサービスを提供することであって、
時間の切り売りではない。

会社員や教師の場合、拘束時間を幾らで売る(または買う)か、という基本的な考え方のもと
簡易な人身売買を強要する(またはされる)ことになるが、私は、まったくもってこの発想に
肌が合わないらしい。

結果として時間を切り売らずにサービスの提供はできないのだが、それが結果としてか、人様の
カレンダーを塗りつぶしてよいか、その差は大きい。

「どんな手を使っても経済活動を成立させ、対価を得続ける」ためには、無条件で他の活動の
チャンスを一定時間放棄することは、非常に不利な立場に立つことを意味する。
通信インフラが充実してさえいれば、同時にいくつもの経済活動を行うことができる中、固定のパーティに
参加・出席している意味は、ある種の特定な情報収集のためを除き、あまりなくなってきている。

ある種の特定な情報収集のため、もしくはある種の好奇心や自分自身の関心の先を探すため
交換条件としてストレスを大量に得てしまう。
非効率的で不合理な活動参加以上にストレスを抱えることはない。
やめりゃいいのに、敢えてこれに飛び込む、そうして大概問題が起きる。

先日もちょっと触れた、大学への(16年ぶりの)復帰は、屈折して遠回りして、まったく無関係の
異国の地の大学への復帰となった。

当時のことを思い出したり、時間の経過を感じたり、低減した何かと成長した何かを、
あまり自覚がない程度鈍くなったのだろうという想像から
間接的に思い知った。

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さて思わぬ就労期間数年から得た「経済活動意欲」が、現在の生活を支えてもいるし、
現在の生活を蝕んでもいる。

「経済活動意欲」が「対価への意欲」でも「対価の無視」でもなく、その適量を日常的に
チェックし、次の活動の質向上へ時間を費やせるようにしてやらなくては。

ここ数年、人をよく見る機会にも恵まれた。
この「質の向上」を馬鹿みたいに本気でやる人は、比較的少ない。
経済活動の目的が収益を上げることであれば、当然のことだ。
日本人特有の固執癖の一つかもしれない。ベトナム人にもあまり見られない。
この馬鹿みたいなことを本気でやること意外に、私が私を維持する理由がない。

まずは内側からも外側からも鳴る煩わしい音が目立たなくなるよう
こちらから積極的に別の波をいくつも起こしてやろう。
足を引っ張り動きを止めるのはいつも、静かで無害に見えるさざ波だ。
これを解決して回る、逆位相の波をぶつけてきれいに消すことはできない。




posted by のら(NORA) at 10:29 | ハノイ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 経済活動とそれ以外の有益な活動のバランス
2019年01月01日

いくつかの表現が増えることを除くと

いくつかの表現が増えることを除くと

実際、あまり他の言語を使用できるようになることから
得られる、想像への効用は、あまりない。

ベトナムという国のもつ背景が、中華文化圏に属しているからかも
しれない。

国のもっとも著名な文学作品も、原語で読んでもさほど
大きく揺さぶられるものはなかった。

そうぞう。
何かを作ることとそのクォリティに関して極めて鈍感だ、というのが
この国についての、当初から、また決定的な所感だ。

他国からマーケット認定されると、個人能力とは無関係に最低賃金が
上がっていくなどの効用があるが、
個人レベルには、もっと根本的な何かが欠け続けているように
思えてならない。

今、留学や国外への(”一時的な”)退出が流行っているので、
数年すると、いかに自分らが甘いか、自覚…しないようで
それが心配だ。
初期設定のハードルが自他ともに低すぎる。
posted by のら(NORA) at 23:46 | ハノイ ☁ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - いくつかの表現が増えることを除くと
2018年12月30日

不思議な感覚

不思議な感覚に
最近、襲われることがある。

仕事を焦って詰め込もうとする。もっとスケジュールを真っ黒にしてやろうと躍起になる。大きく空振りする。
気持ちいいほどのキャンセルを受けて茫然自失となる。全く金にならない。

地味に続けていた、小さな別の作業が
却って、仕事に繋がる嬉しい誤算もある。
かと言って、被雇用部分と自営部分に違いがあり、被雇用部分の小さい作業なんてものは、自分でスケジューリングやデザインをしていないので、その無駄さたるや物凄い。

やれやれ何なんだこりゃ、何もしない方がいいんじゃねえかとげんなりもするが、これが、営業や人対人の速度なんだろう。

何もしておかなければ、間違いなく嬉しい誤算も起こらないのだろうから、これを「良いところにばら撒いて」おくしかない。

大分、ドロップダウンした頃の自分の、正確にはその6年程度前からの、学習の仕方の極端さなどが、自分なりに理解できるようになってきたように思う。
私の働き方は、一部、それと同じエネルギーの充て方により行われる。
本当に徹底的に仕事を入れ、それを遂行しようとすると、特に周りの人間はとてもではないが、同じようにはやらないし、やれない。やりたくない、かもしれない。

いつの間にか働き方にも自分が出てきたと言うべきか、ようやく何かを取り戻しているのか、分からないが、性急で圧倒的なパワーが仕事にも出せるようになったことがプラス、その動機について全く自覚がない点がマイナスだろう。いつこの動機が萎むかと考えると恐ろしい。

バラ撒き方に濃淡を付けて、単独でできる作業のパフォーマンスを徹底的に引き上げる、その他の作業はペースを落として継続と着実に積み重ねる。
パフォーマンスを上げる、また同時に関連する作業を芋づる式に次々と探し、実行し、範囲を広げていく。




posted by のら(NORA) at 14:52 | ハノイ ☔ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 不思議な感覚
2018年12月25日

言葉を知ることと、飽きることと、住めなくなること、そのサイクル。

言葉を知ることと、飽きることと、住めなくなること、そのサイクル。

私がベトナムという国へ来ることは、およそ6年前に、日本国内移動をする前に
すでに何となく、意識していなくもなかったことだ。

その頃すでに朧気ながら、私は恐らく外国人であり続けることで、多少なりとも、
無駄に自分を困らせている行動特性を排除できるのではないか、とも考えていた。

言葉を使ってしまうと、勝手に人の心の中で動き回り、自分で背負えない
ストレスを背負うなんて馬鹿の所業だ。

どうも、長く一箇所に留まっていると、そのスタンスを保持し続けることは難しい。

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関西で、関西弁を少しずつ習得しながら、そこに居ることを結局止した。
そもそも、日本語を愛していながら、誰とその日本語を交わしたらいいのか
二人の日本人の友人以外に思い当たらない。

生きる場所を特定することと、そこの人間と言語によってコミュニケーションをとることは
その場所を失うことに直結しているように、今でも思う。

本気で話すことを望まない人間は多い、ためかもしれない。
そうではないかもしれない。
今となっては分からないが、この考えは、今でも変わらない。

だから、当地ホーチミンへ来ても、愛想で「いやー、発音が難しくって
ベトナム語は話せないね」と言い続けてきた。

そう簡単に、居場所を失ってはたまらない。
歳を重ねると、いい加減、こういった、私なりの、常識が身についてくるらしい。

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当地の大学で、あの当時の私のような、それよりスマートだったり、馬鹿だったりする
ガキどもを毎日見ていると、
本気でこいつらを、ボッコボコにしてやりたい。

元々、手加減やハンディキャップは嫌いだし、苦手だ。
加減が下手だから、調理はできても、調味に向かない、そんな俺だ。

お前ら馬鹿すぎて、この糞大学を卒業しても、糞の役にも立たないんだが、
もうちょっと今のうちに何かしておかないか?と伝えてやる外国人が
当地に一人も居ない以上、それくらいの役目を買って出てやってよくないか。

あー。また住む場所を、誰も詰りもしないにも拘らず思い込みで、追われるかな?
プライド高けーし。

地上に生きている自称人間嫌いのうち、何パーセントくらいは、人間好き過剰なんだろう。

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変なもので、自分の人生がある時点で大きく揺らいで大失敗したことというのは、
今になると、何かしらの財産というか、愛着、思い入れのある事態として
この黴の生えた頭の片隅に残り続けて、繁栄している。

お前ら、せめてこの糞ドロップアウト人間よりうまくやれや
という言葉を掛けられないで、俺の40年の年月に何か意味があると
思えない。

リスキーだが、こういうサイコロは振り慣れてもいる。

楽じゃないが、生かしてもらっている以上、望む前に、自分しかやれないことをやる、

聞こえはいいが、学生・教師・大学経営陣・PTA、当事者の誰も望んでないんだから、くたびれる。

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無駄に生きながらえているのは、今まで感謝が足りなかったことに対し
いかに感謝すべきだったか、追体験をするためだったんだろう。

コンディションは、頗る良い。


posted by のら(NORA) at 14:52 | ハノイ 🌁 | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 言葉を知ることと、飽きることと、住めなくなること、そのサイクル。
2018年12月12日

ゆっくり、正気にもどらなければ

ゆっくり、正気に、もどらなければ

眼を潰す
posted by のら(NORA) at 02:03 | ハノイ ☔ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ゆっくり、正気にもどらなければ
2018年12月07日

適度な距離を置かなければいけない現代の人間関係と噛み合わない私

適度な距離を置かなければいけない現代の人間関係と噛み合わない私


電車で話かけることも憚られる他人の密着が苦痛で吐き気がした。

知りたく話したく仕方がなかった。

人間嫌いという便利な呼び名をもらった。

私は人間が自覚のあるなしに関わらずその奥の奥を一緒に知ることが
好きでたまらなかっただけだ。

営業や教師にも保たなければならない距離はある。

中庸の意味がわからず適切な距離がとれず馬鹿丸出しで
近くに行って見て見えなければもっと接近して気づくと
気色悪い存在になった。

こんなだけどちょっとうまくやれすぎてやしないか?

年を重ねて何かが薄れて剥き出しの
もっと知りたいを抑えられているのではなく弱まっているのではないか。

気違いが気気違いとして生きて死んでいくのに何を
今さらためらい遠慮していくことがあるだろう。

年取って図太くなるのなら何かのために私のために、
私の中の何かのために図々しくありたい。

うまくやれてるわけがねえ何がうまくだクソが。

クソったれが。

死んだから静かになりましためでたしめでたしって
笑えるほどボケるにはまだまだ死ぬほど時間が要る。

もうちょっとで薄っぺらくか弱い狡猾さがこの腐った何の
役にも立たないダメ人間にプラスティックのリボンくらいかけられてよさげだ。

ゴミ屑は誰にも聞かれず呼吸する。
posted by のら(NORA) at 03:48 | ハノイ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 適度な距離を置かなければいけない現代の人間関係と噛み合わない私
2018年12月05日

このために、ここにいるのかな

学生との毎日。
あれもこれも伝えてやりたくても、
戯けて時間を埋めていくだけ。
この距離が、私とすべてのものの距離なのだ、と知る。

posted by のら(NORA) at 00:02 | ハノイ ☁ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - このために、ここにいるのかな
2018年12月01日

ベトナムと無知の知、自己相対化

ベトナムと無知の知、自己相対化
どうしてもこのハードルが高い。
他国だとこれが完璧にできているわけでは、もちろんない。
一度もそれをしたことがないのだと思う。
戦後の日本の教育は自己反省をするよう仕向けられていたとは思わない。
国民性という、動物に気候が影響する仕様の差だろう。

私がゼロから物を作ることができるか自身に不安を感じるのとまったく同じように、この国の将来に不安を感じる。
どこかが折れないといけない。
がばんメンとたいセイだろうか?

たとえば学習途上の学生が無知を指摘されプライドをボキボキへし折られた後に、何を利することで、そのツケを回収できたと感じるかは、私が日本でも感じた、彼らの価値観の問題であって、彼らが自身と向き合い向上することとは、直接関係がない。

非常に素朴な「子どもが憧れる人」のようなイメージを国民に持たせないように、街中の大手本屋が日本の個人蔵書家より少ない本しか書架に陳列できないのだろうか?
情報量が少ないと、恐ろしいことに、適切または自分が欲する選択肢を見つけるのに困るのではなく、選択肢を見つけることの意味をそもそも知らずに育つ。
ターゲットを設定せずに生きられる幻想。

親バカかもしれないが、この国で賢いガキは、みんな社会不適合な24時間ネットに繋がっていたい奴ばかりだ。

馬鹿を肯定する規則と習慣に飽きた。
自覚して乗り越えてこそのそれだ。
さて、何か変化を待つのと、こちらがこの国内で変化するのと、他国へ移動するのと、どれがどれだけ時間を要するか。





posted by のら(NORA) at 00:43 | ハノイ 🌁 | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ベトナムと無知の知、自己相対化
2018年11月26日

古巣

古巣

このSeesaaには足掛け10年お世話になっていることになる。
多謝。

友人に他のブログをすすめられながらも、結局、定期的に
他のウェブサイトでは吐けない、匿名性のもっとも高い、本当の
「日記」、または「記録」のために、こちらのサービスを使って
きた。

不満もある。
ログイン画面に表示される「おすすめブログ」は、10年間1回も
閲覧したことがないので、今後表示しなくてよろしい。

タイトルに「・・・・・・・wwwwwwww」のように書かれた記事が
6−8件ほど表示されているが、そんな白痴なブログを誰が閲読したがるのか。

まあ、小さいことだが、サービスなんてものは、いつでも、そういう小さいことだ。

タイトルについては、以上。


本当のサブジェクトは「私とあがり症」だ。

私に自覚があったのは、小学生の1年生以前。
幼稚園の頃からそれとなく、あった。
人前で歌を歌うのがとにかく嫌で、喋ることも、声の震えがさらなる緊張を呼び、
とてもではないが、私の小中高時代は、人前で何かの発表をさせられるような
状況を避けることを、他のすべてに先立って考えなければならないほど、ひどかった。

小学校の音楽の授業で「歌の試験」というのが、一生のうちもっとも大きな災悪だった。

年齢がそういった感覚を鈍くさせていくとすると、この歳まで生きながらえたことにも
多少の意味を感じざるを得ない。

先日、緊張する自分がいる状況は同じだが、偶然にそれを克服することに成功した。
義務感や責任感、その場の流れをすべて自分が作らなければならないと思うと、
自然と緊張を感じている暇がなかった、ということらしい。

大学の非常勤で日本語を教えているときに、40人前後の学生の前で、まったく緊張を
感じずに済んだのは、まったく、偶然のようにも思う。ラッキーだ。

ただ、今でも変わらないのだが、私は人前で「うまく」歌えないことを知っているので
歌いたくない、という気持ちが、小学生当時からあった。
喉と音声の生理的な都合によるので、いたしかたない。
そういった都合を無視して、誰でも歌えるはずだ、という強要に、心底辟易させられた。

歳とると、状況を選び取る権限を与えられるのだろうか?
若い人は、未だに、この選び取る権限を与えられないのだろうか?
なんだか、うれしいような、うれしくないような。

歌声のピッチは3音ほどしか使い分けられないが、聴力ではなく、聞き分ける能力には、
誰にも負けない自信がある。波の形の再現の方。
親に感謝。






posted by のら(NORA) at 01:10 | ハノイ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 古巣
2018年10月01日

ようやく見えてきた、吹けば飛ぶような何か

ようやく見えてきた、吹けば飛ぶような何か

ようやっと、という感じか。

   ※ ※ ※ ※

恩師が言われていた、自分を突き詰めて行くとそこで他人に出会うことがある、
それに似た何かを見た気がする。

元来、私の興味や関心は、凡そ私が他人の中に見たことがないほど、狭く
限られた範囲にしか及ばないものだった。

その興味や関心は、強烈な光を放つ「似たもの」の中で照らされ続けることで、
生来もっていた色味を失ったようだった。

興味を、関心を、無期限に放棄した。
リリースという言葉が、適当かもしれない。

まったく無関係の畑を踏み荒らし生き長らえることは、私が予想した以上に、
私の中のか弱い泥棒の精神を鍛錬することとなった。
家宅不法侵入の毎日。

門外漢であることから感じる罪の意識は、あの当時、特に過敏だったことを思い出す。

現在、門外漢であり続け、新たに門外漢であり始めることに、だいぶ慣れた。

もっと、新しいことに飛び込んでみたい、とも思う。

   ※ ※ ※ ※

そうして他人の領分にずかずかと踏み入り闊歩する中で、一見の客である私には何ら主張を許される
ない状況であるにも関わらず、私の行うコミュニケーションの所作が、
私の行う小さな事業の方向性が、マーケティングで強調される関数が、
すべてどこかへ収斂して行きそうに見える。

時期尚早だろうか?

残りの時間を想像するに、また何が起こるか正確には知らないために、
私は気づかないフリでこの状況に突入してしまって構わないようにも思う。

特に、ベトナムだからこそ、明確な目的の設定が、私の昔とオーバーラップして
、必要とされているようにも感じる。
外国人相手の商売では、適当でも構わないが、
ベトナム人相手の商売では、死ぬ気で考え提供できる最上のサービス以外に
意味があると、到底思えない。

人材関係は、特にそうだ。
付け焼刃の、規制緩和を追い掛けた、人身売買は
当人がそれを納得するのに十分なほど無知であったとしても、
その無知を啓発する前提から始めなければ、ならない。
啓発なんて、まったくもって糞食らえな言葉だが。

さて、彼らはどうなりたいのか?
私の中になく、彼らの中にない答えを作ることで
私自身がどこかへ向かって行くことになりそうだ。

日本語の教授?
最もシンプルに言語の教授だけを行った場合に、当人に何か
成長があると思う錯覚は、どこから生まれたのだろうか。




posted by のら(NORA) at 01:11 | ハノイ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ようやく見えてきた、吹けば飛ぶような何か

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