かてごり
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2018年10月01日

ようやく見えてきた、吹けば飛ぶような何か

ようやく見えてきた、吹けば飛ぶような何か

ようやっと、という感じか。

   ※ ※ ※ ※

恩師が言われていた、自分を突き詰めて行くとそこで他人に出会うことがある、
それに似た何かを見た気がする。

元来、私の興味や関心は、凡そ私が他人の中に見たことがないほど、狭く
限られた範囲にしか及ばないものだった。

その興味や関心は、強烈な光を放つ「似たもの」の中で照らされ続けることで、
生来もっていた色味を失ったようだった。

興味を、関心を、無期限に放棄した。
リリースという言葉が、適当かもしれない。

まったく無関係の畑を踏み荒らし生き長らえることは、私が予想した以上に、
私の中のか弱い泥棒の精神を鍛錬することとなった。
家宅不法侵入の毎日。

門外漢であることから感じる罪の意識は、あの当時、特に過敏だったことを思い出す。

現在、門外漢であり続け、新たに門外漢であり始めることに、だいぶ慣れた。

もっと、新しいことに飛び込んでみたい、とも思う。

   ※ ※ ※ ※

そうして他人の領分にずかずかと踏み入り闊歩する中で、一見の客である私には何ら主張を許される
ない状況であるにも関わらず、私の行うコミュニケーションの所作が、
私の行う小さな事業の方向性が、マーケティングで強調される関数が、
すべてどこかへ収斂して行きそうに見える。

時期尚早だろうか?

残りの時間を想像するに、また何が起こるか正確には知らないために、
私は気づかないフリでこの状況に突入してしまって構わないようにも思う。

特に、ベトナムだからこそ、明確な目的の設定が、私の昔とオーバーラップして
、必要とされているようにも感じる。
外国人相手の商売では、適当でも構わないが、
ベトナム人相手の商売では、死ぬ気で考え提供できる最上のサービス以外に
意味があると、到底思えない。

人材関係は、特にそうだ。
付け焼刃の、規制緩和を追い掛けた、人身売買は
当人がそれを納得するのに十分なほど無知であったとしても、
その無知を啓発する前提から始めなければ、ならない。
啓発なんて、まったくもって糞食らえな言葉だが。

さて、彼らはどうなりたいのか?
私の中になく、彼らの中にない答えを作ることで
私自身がどこかへ向かって行くことになりそうだ。

日本語の教授?
最もシンプルに言語の教授だけを行った場合に、当人に何か
成長があると思う錯覚は、どこから生まれたのだろうか。




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2018年08月22日

メモリー不足はメモリーをゼロにすることで解決する

メモリー不足はメモリーをゼロにすることで解決する

不足:
いくつかのビジネスを同時に行うとき、どうしても私のよくない部分が、脚を引っ張る。
最近に始まったことではないのだが、こればっかりはどうにもならない。
ほとんど、つい今しがたのことでも、自分が何をしようとしているのか、思い出せない
ことが、以前より増えているようだ。

酒のせい?酒に親しむ前からそうだったから、ひどくなった原因はあっても、全部を
酒に帰するわけにもいかない。

さて、物事の多くは、根本的な解決よりも、応急処置により暫時片付けられることを必要としている。
なぜなら、根本的な解決を要するかどうか、解決を見てからでないとわからないことが多いためであり、
また、時間を長引かせることよりも、その刹那に処理されることに新しい局面が垣間見えることの方が
より、多くの冒険に出くわすチャンスを与えてくれるからだ。

私は、哲学を、鮮魚を三枚におろすようにすべきだと思う。
問題が入ったら答えは瞬時にはじき出されるべきであり、宿題とされるような問題は
すでにその人にとって問題ではない。

こう言うことで、多少なりとも、自分のもつマイナス面を、自分に納得させることができる。

ゼロにする:
使い切ってしまったことは、過去にそれほどない。
メモリーではなく、関心が枯れる瞬間、興味を一時的に燃やし尽くしてしまった瞬間は
ほとんど、生きているよりひどいことが待ち受けている。
満足など、何かに向かっている間にあるもので、無邪気に一点を目指してしまうと、
その後には、一時的にもせよ、何も残らない。
関心や興味に身を預けて生きていると、この一瞬が、絶命の一瞬となる。

さて、メモリーを使い切るとどうなるか。
極度の忙しさの中にわが身を放り込んでみると、長短の記憶の混同や混乱、感情の起伏の著しい乱れ、
簡単に言って、落ち着いてやらないといけない作業の不達成が連発し、余計な時間を浪費する。

私は過去に別種の、関心の消し去った瞬間を見たためか、このようなメモリーの枯渇状態を
異常に怯えて避けてきた。
今でも大学敷地内で行われていた、行動データを採るための実験に参加したときの、何とかテストで
「ちゃんとやってください」と言われたほどにメモリーに問題があったことを、恐怖とともに思い出す。

実際には、メモリーゼロになった場合には、何かが動き続けてくれている。
習慣かもしれないし、先に投げておいた時間差キャッチボールが先方で続けられているという、私
だけではない、複数人の間での連携かもしれない。

ある種の刺激が、特徴的な筋肉の収縮となり、それが「自然でない」表情と認識されるとして、
しかたがないじゃないか。

失禁による糞尿が衣類に染み出していているように思えて、それを隠すため、下着を3枚重ねて
履いていることが無駄だとわかっても、止めようもない。
まったく、しかたがないじゃないか。

そんなものを伴うにもせよ、私は、すべてのメモリーを毎日使い切るまで何か
くだらないビジネスに全身を捕まれていくしかない。

得てして、問題解決を迫られることというのは、瑣末なことであり、重大なことというのは
いつでも、軽やかに水上を滑っていく。

もっと、デザインすることにメモリーを消費したい。
それをするには、瑣末なことを私に代わり遂行してくれる人間が必要なようだ。

死中に活あり、ではないが、すべてのパラメータが落ち切ったときに初めて
諦めて身の力が抜け、余剰の何かができるようにも、思う。

くだらないビジネスをくだらないと思っているうちは、まだこの先に行けないような気がする。
楽しむこと。
現実逃避の意味ではなく、新しい何かへ進むには、それ以外に道はないようだ。
身の回りに起こるすべてのことを、自分の手で選択したからではなく、心から慈しみ楽しむという
そういう生き方は仏教に近いんだろうか。
快楽や笑いを肯定する場合には、どうも、宗教と相性が悪そうだ。


posted by のら(NORA) at 10:09 | ハノイ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - メモリー不足はメモリーをゼロにすることで解決する
2018年08月17日

ホーチミンの面白いところ

ホーチミンの面白いところ


随分長いこと何も書かずにいることには、それなりに努力が必要だと理解した。


身の回りの状況変化の最中には、特に匿名性が失われる機会がいくらもあり、望んでいることとは違うことの記録をしてしまいかねないため、しばらく待った。


まだサイゴンにいる。

ここが面白く、居心地が良いからだろう。


どう面白いか。

日常が落語そのものだからだ。


くだらないことを互いに怒っている人間同士が、滑稽で仕方なく見える場所。

人情噺に近いことが平気で毎日そこかしこで繰り返される。


ここしばらく金儲けの練習に時間を費やしてみた。

私はつくづく、金儲けに向かないと、再確認させられた。


その上で、金儲けを積極的にやめてみることにした。

なんだか、金儲けのスキルだの、会社の運営が上手くいくだの、食いたいから食って、うんこしたいからうんこする以上の何かでは、ないらしい。


俺には、早飯早糞を競う神経が備わっていないし、その美学も染み込んではこない。


何を事業として取り扱い、何ができるかが大事であって、金銭回収の術なんて、普通は恥ずかしくて人に話すことではない。

しなけりゃいけないから、してるだけのことだろう。


もちろん技術なしに餓死せずにいられるわけもない。

小学校から授業で経済的に自分を守る方法を教えてもらえれば良かったが、そんな甘えたことを言うのは、経済観念が希薄すぎる俺だけかもしれない。

国の仕組みについて学ぶ機会があるのであれば、個人の仕組みについて学ぶ機会があっても良かったと思うだけだ。


 ※  ※  


宵越しの銭を持たない愛すべき馬鹿が多くいるこの土地では、金額に還元できない何かが経済活動の対象や媒介と、まだまだ、なり得る。


その同じグラウンドに立つには、きれいな既製品の失敗しない会社の仕組みでは、ちょっと敷居が高すぎやしないか?

背負うべき看板がある人は、お気の毒様だが。

posted by のら(NORA) at 17:30 | ハノイ ☀ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ホーチミンの面白いところ
2018年06月04日

しらっこい(しらじらしい)

しらっこい(しらじらしい)

ようやく少し分かった。

私は、しらじらしい、糞演技の、安っぽい
お涙頂戴舞台が、死ぬほど嫌いだ。

サラリーマンの生活にも少し慣れたので、敢えて
庇うとすると、全員が全員、そうではない。
運が悪いと、この「学芸会」を30にも40にも50にも
なって繰り返す、醜悪な人間に見舞うこととなる。

こういうねっとりと首筋にまとわりつく気持ちの悪い
感触が日本企業の典型的な組織内人間関係でないことを
祈りもしない。
そうだとしても、私には関係ない。

posted by のら(NORA) at 22:37 | ハノイ ☀ | Comment(0) | 雑記(PILOW NOTES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - しらっこい(しらじらしい)
2018年05月22日

変わったこと、変わらないこと

変わったこと、変わらないこと


年のせいか、色々と今在りし自分と過去とを比較するようになった。

できるようになった、でもあるし、せざるを得なくなった、でもある。


変われないこと、かもしれない。

未だに、子どものように、絶対に許さないことが、変わらずにある。

本来、収益目的の事業に、どれがよくて、どれがよくない、などないはずだが、

何かどうしても納得がいかず、その結果受け入れられないことがある。


驚くほど私自身が回復したと、毎日の行動から驚かされる。

にもかかわらず、私は、事業の行く末、何に供すことができるか、を予想、期待、目標化できない

事業に我慢ならない性分を、未だに変えられない。


要するに、やっていて興味深い、面白い、何かこれまでにない新しいことを提供できる

もしくは、現状の問題に打開策を与えられるのでない、已然、組織の現状維持ないし、

組織のゆるやかな発展を維持できる事業に、「それで?」と訊きたくなってしまう。

安楽死のアナロジーから、こんなことには疑問を抱かないのかが不思議で仕方ない。


こんなことは、サラリーマンをやる以前からの想像の範疇を超え出ないことなのだが、

私には、それを地道に繰り返し時間を浪費する代わりに、得られる安心感を、得ることができない。

自己正当化が下手なままだと言えば、そうなのかもしれない。

簡単に言うと、文化的な洗練を伴わない事業に、将来どころか、現状維持の必要性を感じない。

こちらは癌のアナロジーだろうか。


新しい勤め先を探すときの、あの、苦い砂をジャックジャク噛む感じが、胃液の逆流を感じながらも、嫌いではない。

体内方位磁石は、ずっと同じように機能している。


メモ帳に書いては捨て続けた自立への道が、リアルに見えることは、これまでとは

変わった何かなのだろう。


十代の最初の頃にだけ聞いて疎かになっていたDJの今も続く深夜放送を、申し訳ないことに

Youtubeで聞くことが増えた。


飛び立つ前には、必ず足許を点検するとして、この飛躍がどれだけの規模のものか

自覚ができているくらいに冷静な自分に、少し安心させられた。


Good Bye、理不尽な服従とルール化が蔓延る、文化なき金儲けの世界。

Welcome、算数と習慣化だけでは開けない、不安でいっぱいだが我が子に誇れる、冒険の世界。






posted by のら(NORA) at 23:37 | ハノイ ☀ | Comment(0) | 表日記 (EVERYDAY LIVES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 変わったこと、変わらないこと
2018年03月29日

嘘をつくときのルール

組織

嘘については、一家言ある。
誰に対してかは、あまりない。
ここからはセイフティスペースで、ここからは他人だと思うのは
かまわないが、非礼や、あまりに馬鹿馬鹿しくてツッコみたくなくなるほどの安っぽい嘘の周りには、
本当に、余計に、いらいらさせられる。
驚くほどその人間のスケールが表れる。
家族経営ってのは、あなたの家族とあなたの価値観の色を、どうやって他人の金勘定に染み込ませずに
やり果せるかがすべてだ。
他人に見せられない身内の揉め事は、身内内でやってくれ、つくづくそう思う。

嘘を見破られる人の前では、ほとんど、嘘をつくべきではない。
なぜなら嘘をつく際の唯一のルールは、あなたのついた嘘が、相手には本当のように聞こえていると、
少なくとも嘘をついた本人が演じ切られる、というものだからだ。

100000分の一の嘘発覚も、ほとんどあなたの過去のすべてを崩壊し、未来すらも消し去る。
嘘をついても隠し果せるという「思い上がり」と「過信・慢心」が、あなたのサイズを決定する。

なぜ、嘘のレベルを上げることを誰も積極的に学ばないのか。
それ自体は、倫理的には、むしろ推奨されるべきはずだ。

嘘をそれ自体善や悪と断定しそこで満足することは、原因追及の放棄であり、
嘘のレベルを上げないことは、他人と共通するストーリーを守る意識の欠如である。
原因追求の放棄と、共有財産の放棄を、認める理由が見当たらない。

「知的」という言葉の厳密な言葉の定義に興味はないが、おそらく、嘘の上手い下手は
その恰好の試金石となるだろう。

経済活動の分野で細部まで管理される正しい数字の反面、安易に口にされる安っぽい嘘が
今この時間を私は価値の低い事柄のために費やしているのだが、という、何よりも雄弁な
記録映像の生放送になっていることは、非常に興味深いが、まったく見たいと思わない。

この時代に大小問わず嘘を記録できないわけではないが、その手間隙を費やす暇人がいない。

嘘の破壊力と創造力を、理解は十分だが、もっと高く遠くまで使いこなしたい。

TO BE CONTINUED
posted by のら(NORA) at 01:56 | ハノイ ☀ | Comment(0) | 表日記 (EVERYDAY LIVES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 嘘をつくときのルール
2017年12月28日

HAJIのシステム

HAJIのシステム

恥を感じる仕組みは人それぞれだが、それ以上に
恥を押し殺す仕組みも人それぞれだ。

貸し・借りの仕組みなど、民法史上最古のきまりごとなのでは。
困った人間がいたら助ける、老人子どもは助けられるべき、こういうことは
私の道徳観から非常にしっくりいく。

組織の常識、ファッションなど、どこ吹く風だ。
どうでもいい優先順位の低いルールを振り回す馬鹿が多くて
肝心なことが後回しにされていて、いらいらする。

状況によっては、人を殺すことだってあるだろう。
法によって裁かれるから、それを行ってはいけないということではない。
罰と折り合いのつく範囲で行うことのできることは、選んで実行してみて
かまわないのだろう。

単にそれが折り合いのつかない高価なものだから
誰もあえて買おうとしないのが殺人という商品。

余計な感情を挟み込む余地なく仕事できることはすばらしい。
すばらしいが、大抵はそうはいかない。

私がいらつくのは、物に対してではなく、行動の結果に対してでもなく、
目的や「群れる」ために設定される、設定されなくても目的を
達成することはできるはずの、余計な飾りをもてはやす、あの運動会や
学芸会のような雰囲気だ。

一公務員である公立小学校の教師がメディアを模倣して子どもたちに
「擬似イベント」を作るような、文字通り子ども騙しな、安っぽい時間が
不愉快で仕方ない。
サラリーマンをしていて一番不快なのは、それにつきる。

安っぽい嘘に対して、私は恥と同時にいらつきを感じる。
程度の低い仕事に対するのと変わらない。
濃度の低い時間を共有させられる身になってみろ。

スキルの低い高いは、ある程度仕方がない。
それに応じた報酬で契約し、労働を提供することに、他人が口を
挟むいわれがない。
それを同僚が「お前のせいで俺の仕事が増えた」と言えば、それはちょっと違うだろう。
自分と組織との関係を刷新すればいいだけのことだ。
もっとも自分がそういわれる立場であり、改善の必要があれば、真っ先に改善するだろうが。

群れが現状維持やその惰性で作る擬似規則がうっとうしくて仕方がない。
そういう擬似規則を作りたくなるか弱い人間アピールを、どういう感情が
受け止めることができるのだろうか。
同じく群れたい人間だけだろう。

私は、狂ったように本気になれない、そこそこな人間集団にいるのが、とても苦痛だ。
組織というのは、個人が能力を目的のために発揮する場所だと思うが、傷の舐め合いのために
集まってくる輩が多すぎる。

本当につまらない。
バックグラウンドからしても、現在のありようからしても、別のストーリーに入れ、
口パクで別のキャラクター設定に喋らせないと、ほとんど舞台に乗せられない。
他人を道具として考えすぎだろうか?
それが私にとってどれだけ真剣に考えているとしても?
「内なる」の意味は、私にとって個人的にしっくりいくという意味ではなく、
おそらく400年前にもっと突き詰められていれば、他人というものがまったく
意味をなさない何かでありながら、その上でなお、私は私自身をどう発揮することができ、
それが他人にとってどのように有用になり得るか、という調整の状況を指したのではないか。
そんなわけないか。
だから、私は、16年前にとても疲れて、未だにすべきことを放棄し、休んでいる。

TO BE CONTINUED
posted by のら(NORA) at 06:15 | ハノイ ☔ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - HAJIのシステム
2017年12月16日

サラリーマンと自営業者

サラリーマンと自営業者

ホーチミンに、サラリーマンとして、暮らしていると、何かと新規ビジネスの話を持ちかけられる機会が多い。
アブなそうな人、疲れた人、サラリーマンとして新しいことを見つけに来た人、完全にアブない人、いろいろいる。
これは非常に残念なことなのだが、なかなか成功しているケースに出くわさない。
私は、はっきり言って、会社組織にコバンザメのように寄生している現状が非常に恥ずかしく、また苦痛であり、
一刻も早くこれを中止し自活できるように、本来自分がすべきことを斜め上に見上げつつ、それとはまた異なる
生計を立てるための個人事業の可能性を伏し目がちに探っているわけだが、
おっさんにしてサラリーマン経験がほとんどない私に言わせると、個人で新しいビジネスをやろうとする人の
計算は、概して甘すぎる。甘甘。

サラリーマンになり、結果としてよかったことも、あるようだ。

ひとつは、時間の捉え方が、少し人並みに近づいた、かもしれない。
血圧や心拍数の上昇とともに、時間が圧縮された。もしくは
圧縮する方法を学んだ。
正確には、仕事量を瞬間的に、集中的に、上げることを意識的に行えるようになった。
年を取ってなお、周囲の気にしなくてもよいことを気にする自分がいやになるが、それでも
年相応に少しずつ、よい意味で、鈍くなってきている。これはうれしい誤算だった。
図太くなった、そう言った方が当たっているかもしれない。
注意が逸れにくくはなっている。
柔軟性が、それに反比例し、減少しているかもしれない。

ひとつは、経済観念と、経済活動の、基本的な仕組みを、初めて理解した、かもしれない。
計算の射程距離が、以前よりも少し広くなったように思う。
予測と危機回避。今まで、なさ過ぎたか。得た分だけ、何かを代償にしている。
メモリを非常に食う。
ほとんど他のことが、私の世界から消失する。

ひとつは、何が高価値で、難しく、求められるか、よく見るようになった。
ただこれは、理解できているのではなく、見る機会が増えただけかもしれない。
価値観なんて習得しようとしてできるものではないからね。
ただ、それに行き着く、前提条件を、いくつも借りて着てみると、少し
そう感じるようになる気持ちも理解できなくない、というだけ。

このメリットとデメリットについて考えることはない。
できないほどに、メモリが不足している。
今すべきことは、自分の複製をいくつか、より精確に平行して動かせるようにすること。

人間の組織(会社・外注・家族・知人)、プログラミング、自分会議、他に何かあるだろうか。
頼るとは言わないまでも、分散させたいすべてのアクションをある程度の精度で実現させるとすると、
悲しいかな、私は、人間以外を選ぶことになるかもしれない。
いや、すでにそうなっている。
私と他人の関係はそんなものなのだろう。

私は友人を人間だと思っていない。
私の一部だと思っている。
それ以外を、親族から客、知人、すべてひっくるめ、人間と呼んでいる。
友人とは経済活動の発生しない間柄の誰かであり、それ以外は
いつでも交換の利く、物とも人とも定義可能な、ただ「何か」だ。
posted by のら(NORA) at 21:01 | ハノイ | Comment(0) | 表日記 (EVERYDAY LIVES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - サラリーマンと自営業者
2017年12月10日

搾取と非搾取

搾取と非搾取

というような関係は、果たしてあるのだろうか。

ブラック企業の話を耳にするたびに、また自分の過去に勤めた就労環境を考えるに、
また現在勤めるベトナムの企業のことを考えるに、そんなものは存在しないように
思う。

経営者サイドの苦労がそう思わせる部分もあるが、実際、搾取と非搾取という
チープでステレオタイプで糞面白くもないストーリーに、まったく心惹かれない。

搾取されると感じる人間と、搾取すると感じている人間と、双方ともに、どうでもよい。

自分自身で経営をしていても、あまりこのスタンスは変わらない。

何かもっと別のことが起きるために、何かしたい。
どちらの側にいようとも。
こちらも、あちらも、ないのだが。

搾取するあるいはされる時間や金は、相互の人間の間で取り交わす
契約の条件により変更可能だが、結局のところ、その先に残るものには
あまり違いがない。数字上の多少だけだ。

もし搾取する側がこの駆け引きと手元に残る金額の多少により満足しているとしても、
主観的に組織の中心により近いという錯誤から得る満足感以外ではないように思う。

私は、経済活動が必要だと思う傍ら、それを一生かけてやる理由ほどのこととは、到底思えないまま
大分年を食ってしまったようだ。



posted by のら(NORA) at 20:21 | ハノイ 🌁 | Comment(0) | 表日記 (EVERYDAY LIVES) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - 搾取と非搾取
2017年12月02日

ベトナムにいて一番面白いこと

ベトナムにいて一番面白いこと
これはホーチミンに住む前に下見に来て確信していたことなのだけれど、
この国の太陽の光の強さとそこで育まれた色彩感が楽しい。

人によって趣味の分かれるところかと思う。

地味で微妙な色味の違いを楽しむ北国と違い、荒っぽく、概して組み合わせのセンスにかけているが、補って余りある明け透けな色の楽しみ方がいい。

統一感はなくても太陽光が全体をうまくまとめてくれた気がする、この自己主張と他力本願の偏心が社会主義国ベトナム!

30年後にベトナムが今の日本のようになる部分もあるとは思うけど、日差しの強さは変わらないのでは?

乾季への移行の時、吸い込まれそうな青い空が、排気ガスで灰褐色の空にならないことを祈ってやまない。

posted by のら(NORA) at 11:47 | ハノイ ☁ | Comment(0) | ベトナムホーチミン便り(IN VIET NAM RIGHT NOW) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする はてなブックマーク - ベトナムにいて一番面白いこと

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